



高揚、感銘、歓喜、ポップ・・・
そんな情緒的な瞬間はいつだって突然にやってくる。
自分独りでは意図してなれるものではないけれど、他者(自分の外側の世界)がいれば、いつだってそうなり得る可能性はある。
いつどこで自分が情緒的になれるか。それは他者に(ある意味強制的に)揺さぶられ、ジャックされるということに等しい。
ただ、そう云う気持ちをなんとなしに終わらせてしまうのではなく、余韻まで自分の中で向き合いたい。忙しさ理由に気持ちを後回しになんかしたら、揺さぶられただけで終わって自分のなかでの位置づけが定まらないから。
高揚は瞬間だから、余韻こそ大事なのだと思う。
そのための作品である。余韻で対話するための作品である。
時に「色」は言葉より雄弁でストレートであるから、高揚が収束した残り火のなかで自分と対話するのである。
絵を通しての"自分との対話"である。
今この瞬間の情緒的朱色の気持ちを反芻しておこう。
もう二度と同じ情緒は味わえないかもしれないから。
S30号(91cm×91cm)の大判作品。
キャンバスに油彩。